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2022年8月17日

SSを土台に多角化経営を進める -西石油-

※ こちらの記事は、株式会社月刊ガソリンスタンド社よりご提供いただいた記事となります。




創業73年の西石油。2010年に3代目となる西貴之社長と弟の寛之専務が入社した。


若い兄弟は「変化に対応できるものが生き残る」と、事業を拡大する戦略を打ち出した。車検など油外商品を軌道に乗せた後、新規事業に着手した。



地元を大事にせんじ どげえすんの! SSを土台に多角化経営を進める


「ラクテンチ」って何?

写真を見て、そう思われた方も多いだろう。ラクテンチとは、大分県別府市にある九州最古(1929年オープン)の遊園地だ。


「子どもの頃、ラクテンチは夢の国だった」と話すのは、今回の主人公・西石油の西寛之代表取締役専務(40)である。


現在、別府市を中心に9SSを運営する同社は、2018年に同遊園地の経営権を取得し、20年にはメインゲート2階に本社を移転している。


同社は16年の和菓子処「茶郎」を皮切りに、18年に旅館「べっぷ昭和園」、19年に湯布院温泉「お宿有楽」、21年に「ホテル別府パストラル」、22年に由布院温泉「楓の小舎」の経営権を取得。22年にはスポーツ施設管理事業も開始した。


こうした多角化経営を推し進めているのが、西貴之社長と寛之専務兄弟だ。そのキーワードは「地元を大事にせんじ どげえすんの!」という同社の合言葉に集約されている。


ラクテンチは実は長いこと経営不振が続き、寂れた状態だったという。同社はかつての夢の国を取り戻そうと奔走。経営権を取得した後は、塗装をし直し、季節の花を植えるなどハード、ソフトともに手を入れた。


メインゲートから日本屈指の急勾配のケーブルカーを上がった先にあるラクテンチは、別府市内を一望できる山頂にある。遊園地ほかミニ動物園、温泉施設、バーベキュー場等を備えており、幅広い世代に支持されている。


「古さではなく、レトロ感を大切にした改修を施す」ことで、来園者数は150%アップ(コロナ前)したという。


この成果は「別府の宝を再確認するきっかけにつながった」と寛之専務。観光都市である別府には、ほかにもたくさんの宝(観光資源)があった。



兄弟そろって放送局を 退社し、家業へ


西石油は寛之専務の祖父・楫夫氏が1949年に創業した。




西兄弟にとって、会社は生活の一部だったという。「幼稚園から帰ってくると、両親の仕事が終わるまで本社で遊んでいた。仕事納めの大晦日には、各所長に年越しそばをふるまいながら『1年間ありがとうございました』と挨拶した」と振り返った。


大分舞鶴高校時代はラグビー部キャプテンとして部を率いて花園(全国大会)に出場。


卒業後は教師を目指し、大学に進学した。「資源のない日本が世界と渡り合うためには、教育が必要と考えた」からだ。教師になり、ラグビー部の監督になりたいと思っていた。部のメンバーとは「世の中を変えるためにはどうしたらいいかと熱く語り合った」という。


教員免許は取得したものの、卒業後は大分朝日放送に入社。「マスメディアは世の中を変える大きな力がある」が、志望した理由だ。営業と報道の5年間で得たのは「県内の優良企業の社長たちとのつながり」という。テレビ局は「効率よい広報ができる」ツールとして、現在も良い関係を築いている。


当時、兄の貴之社長もOBS大分放送に勤務していた。


兄弟は家業に入ることを考えていたが「実は2年ほど父(謙二会長)とケンカしていた。2人まとめて来るな。GS業界より放送局にいろ、と父は譲らなかった」と明かす。


その反対を押し切って、兄弟そろって2010年に入社したのは、それが「ギリギリのタイミングだったから」という。




「高校時代から決算書など数字を見ていた」という寛之専務。


「セルフ化が進み、業界が変化しはじめていたが、発想が追い付いていなかった。この先どうやっていくか、早急な方向転換が必要だった」


こうして西兄弟は「会社を守るために、いや、もっと大きくするために」家業に入った。「変化に対応できるものが生き残る」と考えていた。



強みは父が築いた信用 車検は別府ナンバーワン


入社から5年間はSSの現場に立ちながら、車関連事業に取り組んだ。「本業の強みと弱みを分析し、戦略を立てることが必要だった」


会社の沿革を見てみると、10年以降、車検・整備工場の増設や鈑金・塗装工場のオープン、指定整備工場認可、SSの開設等が相次いでいる。


「消費者がSSを選ぶ基準は『人』にある。店はたくさんのファンをつくることが必要だ。車検件数は現在、別府市内でディーラーも含め、一番多いと思う。当社の一番の強みは、父が築いてきた信用の高さ。『西なら大丈夫』『西なら安心』と口コミで一気に増えた。お客の目線に立ち利益を追求しすぎず『ありがとう』と言ってもらえる車検を目指したことも奏功した。何より社員が頑張ってくれ、客数も増加している」


同社SSが使用する「ガソリンスタンプラリー」は、スタンプ数に応じて茶郎のどら焼きやラクテンチのフリーパス券等と交換できる楽しさがある。


さて、寛之専務は同社で主に経理や総務を担っている。放送局員時代に知った「雇われている側の感じ方、考え方やサラリー(給料)の大事さ」を会社の経営に活かす。


残業代を含む給料の改革、手当の充実ほか、有給取得率の向上等々、働き方改革にも取り組み「みんなが前向きになれる体制づくりを進めている」


また、毎年の社員旅行(コロナ禍を除く)は全額会社持ちで台湾や韓国等へ。「コミュニケーションの1つで、愛社精神につながる」としている。



自分たちがグリップを 握れる事業を次の柱に


こうして油外販売=本業を軌道に乗せた後、始めたのが観光や宿泊等の事業であった。


「SSは元売がグリップを握る。車はディーラーがグリップを握る。いずれも指針1つで動きが変わる」が、その最たる理由だ。西兄弟は自分たちがグリップを握れる事業を、もう1つの柱に据えたかったのだ。


その事業に観光や宿泊等を選んだのは、これまで西一族が県や市の公職に就き、その発展に力を注いできたことも要因として挙げられる。


歴史や技術、景観や温泉等の資産を持ちながら、後継者不足に悩む事業者が多くいた。同社はそれを引き継ぎ、自らが経営することで、従業員を含む街の宝を守る―新規事業にはこうした思惑もあった。


言わば、コンサル的な事業だが、兄弟にその経験はない。ノウハウは「ラグビーから教わった」と寛之専務は話す。


「心遣いや感謝はもちろん、人の動かし方や指導の仕方、従業員に自発的な考えを促す点まで体育会の経験が活きている」


毎朝、貴之社長は6時台に、寛之専務は7時台に出社するという。誰よりも働き、誰よりも会社のことに詳しく「最後は自分たちが責任を持つ」という強さで、会社を率いている。


貴之社長は対外的なことを、寛之専務は社内のことを担う役割分担はあるものの「兄弟は仲良く、お互いに尊敬している」


今後ついては次のように話す。


「SSは我が社の土台として、大事なお客を守り、発信拠点になってもらう。SSの来店客数の多さはTVCMを流すより効果的な広報ができる。宿泊事業については、ホテルの買収をさらに進めていく。今年はグループ全体で14名の新卒を採用。人材教育にも力を入れる」


ラグビー関連のグッズで覆われた専務室に、小さな書作品が飾られていた。


「パパみたいになんでもできる人になりたい」―中学1年になった長男の謙太郎君が小学2年の時に書いた作品という。


自身も文武両道で頑張ってきた。だから子どもたちにも「好きなことだけ頑張ってもダメ。すべて一生懸命取り組んで、何でもできるようになりなさい」と教えている。


その書は「自分を律するために飾っている」そうだ。「まだまだ大丈夫。毎日飲む時間も、運動する時間もある」




〉〉〉プロフィール

西寛之 にしひろゆき

1982年、大分県別府市生まれ。大学卒業後、大分朝日放送に入社。2010年に退社し、西石油に入社。別府青年会議所第39代理事長(現特別顧問)。別府観光協会副会長。資格は整備士、簿記ほか。家族は妻と2男1女


〉〉〉沿 革

西石油

1949年、西商店創業。56年、ガソリンスタンド第1号開所。2005年、整備事業開始。09年、レンタカー事業開始。16年から観光事業(遊園地)、宿泊事業(ホテル・旅館)、飲食事業、スポーツ施設管理事業に進出。現在県内に9SSを運営。西貴之社長



月刊ガソリン・スタンド 2022年 6月号

P.94 「KEY PLAYER キープレイヤー今月の人 西寛之 西石油・日出SS(ENEOS系=大分県日出町)」より


【 掲載ガソリンスタンド 】

日出SS / (株)西石油

(大分県速見郡日出町)


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